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  • shizuokaverdi
  • 5 時間前
  • 読了時間: 2分

フィガロの結婚初演時のポスター
フィガロの結婚初演時のポスター

 12月4日の練習参加者は、Sop9名、Alt12名、Ten7名、Bass6名の合計34名でした。海老名から松永さんと堀さんが参加しました。


~モーツァルト探訪その31

 フィガロの結婚の初演は1786年5月1日、ブルク劇場でモーツァルト自身の指揮で行われました。公演は大成功。歌手たちが粒ぞろいだったことも幸いし、多くのアリアがアンコールされ、拍手が鳴りやまなかったために上演時間が倍近く(6時間?)にもなったそうです。街ゆく人は皆、鼻歌でフィガロの曲を歌い、ウィーンはまさにフィガロフィーバーと化していたのでした。

しかし、このオペラは、以後不思議なくらい上演回数が伸びていません。もしかしたら、雇い主である貴族の伯爵が、下僕であるフィガロたちに恥をかかせられ、聴衆の笑いものになるという、いわば権力に批判的な内容が災いしたのでしょうか?

『フィガロの結婚』は一応の成功を収めたとはいうものの、それはモーツァルトに社会的・経済的な成功をもたらしたわけではありませんでした。むしろ、逆にこのころから、ウィーンでのモーツァルトの音楽活動には次第に翳りが生ずるようになっていきます。おそらく『フィガロ』を境にして何かが大きく変わったのです。



《モツレク第38回練習内容》

1.Missa brevis KV49

☆通し部分稽古


書きかけ~つづく

しばらくお待ちください・・・


【次回練習内容予定】2025年12月18日 アイセル1Fホール




 
 
  • shizuokaverdi
  • 11月26日
  • 読了時間: 2分


ロレンツォ・ダ・ポンテ
ロレンツォ・ダ・ポンテ

 11月20日の練習参加者は、Sop11名、Alt11名、Ten7名、Bass6名の合計35名でした。


~モーツァルト探訪その30

 1785年から翌年の春にかけて、モーツァルトは新作のオペラ「フィガロの結婚」の作曲に取り組んでいました。台本は腕利きの台本作者ロレンツォ・ダ・ポンテ。この作品を取り上げようと言い出したのは、他ならぬモーツァルトでした。実は、これは大胆な提案だったのです。才知あふれる従僕のフィガロの活躍によって貴族が笑いものにされるこの痛烈な風刺喜劇は、ウィーンでは上演禁止になっていました。しかしダ・ポンテは交渉の名人でした。彼は穏当な内容のオペラに脚色するということで皇帝を巧みに説得し、上演許可を得ることに成功します。すぐれた現代喜劇の台本を得て、今やオペラ作曲家としてのモーツァルトの卓越した才能が見事な開花を見せます。従僕のフィガロ、小間使いのスザンナ、アルマヴィーヴァ伯爵、伯爵夫人、小姓のケルビーノ、さらには医師のバルトロや庭師アントニオといった脇役に至るまで、どの登場人物もなんとリアルで生気にあふれていることでしょうか?3時間余りの間、極上の音楽の連続によって心ゆくまで音楽劇の楽しさを満喫させてくれるこのオペラには、まさに完璧な傑作という形容がふさわしいでしょう。


《モツレク第37回練習内容》

1.Missa brevis KV49

通し稽古(2回目)

・毎回通し練習をします。曲の全体像を把握しましょう。


2.Requiem KV626「Dies irae」

p14の31小節~36小節の練習

・響きに慣れてない感じがするので、次回もこの個所を練習します。


3.Requiem KV626「Rex tremende」p24~

☆復習

・32分音符に変更した個所が徹底されていない(32分音符は、6小節、11小節、15小節3拍4拍、16小節)。

・7小節~10小節のSop&Altのデュエット、Ten&Bassのアンサンブル、同じく12小節~15小節があまりうまくいっていない。


4.Requiem KV626「confutatis」p35~

☆復習

・おそらくモーツァルトの絶筆となる曲です。死を予感している心の内側を表現。

・次回も音楽稽古をやります。


【次回練習内容予定】2025年12月4日 アイセル3F大音楽室

①Missa brevis KV49通し稽古 (3回目)

②Requiem KV626「Dies irae」p14~(再度31小節~36小節の練習)

Requiem KV626「Rex tremende」p24~(7小節~10小節、12小節~15小節)

④Requiem KV626「confutatis」p35~(音楽稽古)

⑤時間が余ったらRequiem KV626「Lacrimosa」p40~(音楽稽古)


 
 
  • shizuokaverdi
  • 11月10日
  • 読了時間: 4分

更新日:11月11日


ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)
ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)

 再びアイセル1Fホールで練習でした。本日は場所を変えてピアノを背にし、舞台から客席に向かってホールで歌っているような感覚で歌ってみました。

11月6日の練習参加者は、Sop10名、Alt12名、Ten6名、Bass6名の合計34名でした。


~モーツァルト探訪その29

 1785年の2月のレオポルト・モーツァルトのナンネル宛ての手紙には、ハイドンとの交友の一場面も伝えてくれています。合計6曲になる弦楽四重奏曲「ハイドンセット」は、モーツァルトが精魂込めて書き上げ、敬愛するハイドンに捧げたのでした。いずれも充実しきった素晴らしい作品ばかりで、24歳年少のモーツァルトと共にこれらの曲を演奏しながら、ハイドンはどれほど深い感銘を受けたことでしょうか。

このレオポルトのウィーン訪問で、父と子の長年のしこりはだいぶとけたようでした。

 息子に勧められ、当時ウィーンで流行していたフリーメイソンに入会したのも、父と子の歩み寄りの結果でしょう。モーツァルトが入会していたこの秘密結社には、ハイドンの名もありました。フリーメイソンの掲げる「自由・平等・博愛」という理念に共鳴したのでしょうか?それとも神秘的な儀式に心ひかれたのでしょうか?いずれにせよ、モーツァルトはこの謎に包まれた秘密結社のために、いくつもの音楽を作曲することになります。

2か月余りのウィーン滞在ののち、父レオポルトは満足してザルツブルクに帰っていきます。しかし、これが父と息子の最後の別れになりました。


《モツレク第36回練習内容》

1.Missa brevis KV49(全曲)

☆通し稽古

・フレーズの歌い始めは、きつくぶつけるのではなく、柔らかく。

・全体にト長調の明るい響きを意識する。

・曲やテンポが変わる時に、アンサンブルが乱れます。原因は、次の音楽が頭の中に鳴っていないから。

・気を付けないと、音をブツブツ切れてしまう。常に音符をたっぷり鳴らす。

・Credoの音楽がもう一つ体に入っていない感じがします。拍子の変わり目などに注意してください。

・p34は、前のAdagioからAllegroの3拍子に変わります。ここでいつもアンサンブルが乱れてしまいます。


2.Requiem KV626「Introitus」p3~

☆音楽練習

・8小節の男声の歌い出しは深く地の底から響いてくるような音色で。

・15小節~16小節の「et lux per」は強烈なアクセントを付ける。

・17小節のluceatは拍内で「 t 」。

・19小節の「is」は2拍目で「s」。

・32小節の「et」は拍内で切る。

・33小節のBassとAltの出は、TenとSopは手伝う。

・43小節~44小節の「et lux per」はアクセントを付ける。

・45小節の4拍目はcresc.46小節の1拍目はdim.

・47小節はノンブレス。

・48小節はrit.最後の「is」は指揮で合わせる。


3.Requiem KV626「Kyrie」p8~

☆音楽練習

・最初のBassとAltのKyrieは、TenとSopも歌う。

・各パートの十字架のテーマは四分音符を短く。

・Altの18小節「eleison、eleison」は目立たせて。

・曲最後のAdagioは8つ振り。良く指揮を見て合わせる。


4.Requiem KV626「Dies irae」p14~

☆音楽練習

・16小節~17小節、1拍目と3拍目に強烈なアクセントを付ける。

・31小節~36小節まで、合唱の音がホールを包むように歌います。何度も練習しましたが、なかなかハーモニーと響きがまとまらないです。

・37小節~40小節、すべての音符に強烈なアクセント。

・Bass41小節3拍目は、f フォルテで入るが、Tenも手伝う。

・42小節頭はpにしてcresc.する。

・42小節からのdies irae、dies illaは、cresc.ーdim.する。


【次回練習内容予定】2025年11月20日 アイセル3F大音楽室

①Missa brevis KV49通し稽古(2回目)

②Requiem KV626「Dies irae」p14~(31小節~36小節の練習)

Requiem KV626「Rex tremende」p24~

④Requiem KV626「confutatis」p35~


※練習中、ホールにモーツァルトの姿が浮かび上がるような演奏にしたいと言いましたが、1980年10月6日に昭和女子大学人見記念講堂で聴いたカール・ベームとウィーン・フィルのベートーヴェン第2&第7交響曲はまさにそのようなものでした。伝統の深さと重みが迫ってくるような音楽。ベートーヴェンの姿とそれを支えてきた名演奏家達が一堂に集まっているような雰囲気。ウィーン・フィルのメンバーは100名前後だったと思いますが、そんなものではないものすごい数の人々を目の当たりにしているようで圧倒的でした。

 終演後、何度も呼び戻されるカール・ベームさんと握手できたことは幸せな思い出です。

1枚目:私に「手を差し出せ」と言っているベームさん。(この直後に握手)

2枚目:19歳の私

3枚目:日本のファンに最後のお別れをするベームさん(この1年後にベームさんは亡くなりました)


 
 
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